「たまには恋のひとつくらいしてみなさいよ」




( Hey Ya! )



ファッション・エディターという職業柄、滅多な恰好は出来ない。 誰に言われたわけでもないが、周りにいる先輩たちの服装を熱心に研究した結果、 はそういう結論にたどり着いたのだった。

年に一度あるかないかのエディター募集を、何十倍もの倍率のなかモノにしたのである。 大学生活もそれなりに面白かったけれど、採用通知を手にしたときほど一流大学に 入ったことを嬉しく思ったときはない。

しかし、ファッションに興味のある人間なら誰もが一度は夢見るだろう職業に就いた感想は ……感想を抱く暇さえないほど忙しい、ただもうそれに尽きる。

この不景気なご時世にあって、LVMHグループを頂点にするファッション業界は たった一人のデザイナーの為に億単位の予算をつぎ込んでオート・クチュール コレクションを発表するし、ジョン・ガリアーノやカール・ラガーフェルドと いった大御所たちは、プレタ・ポルテコレクションにさえ庶民には溜め息しか 出ないような金額の既製服を打ち出してくる。

パリへミラノへニューヨークへ取材のために飛びまわって、 ドレス・コードなんてものをいちいち気にして、 気付いたときには給料のほとんどが服飾費に消えている。

もう二十三歳になるけれど、そんな生活は充実していて、恋愛なんて必要ないと思っていた。 というより恋愛なんてものの存在自体、忘れかけていたころだった ……恋に落ちてしまったのは。

しかも相手はあろうことか八歳も年下の、友人の弟だ。

いくらなんでも中学生はまずい、犯罪だ。そうは思ってもの恋心は加速度的に高まってゆき、結局こうして、 久し振りの休日を中学生のテニスの試合を見るために使ってしまっているのだった。 メールアドレスを交換したり、ちゃんとしたステップは踏んだ。

今日こそ決める。

勝負服はGucci。

「勝利のあとの、ご機嫌はいかが?」
「……別に、いたって普通ですよ。なんなら心拍数でも数えて差し上げましょうか?」
「相変わらず可愛くないわね」

この唇は嘘を吐く。上手に嘘が吐けるのは、大人の女の必須条件だ。 が座っているベンチの隣にジャージ姿のまま腰を下ろして、 少年ははあっと盛大に溜め息を吐いた。

「可愛くないあんたに差し入れ」

少年の溜め息を笑顔で無視して、はスポーツドリンクと雑誌が入った伊勢丹の紙袋をぶっきらぼうに差し出す。 自分が編集に参加している雑誌を恋する少年に見せたいなんて可愛らしい乙女心からの 差し入れではなくて、純粋な自慢心と、格付けの印。

「あたしはあんたと違って大人なのよ」という言外の、牽制。

別にパワーゲームをしているわけじゃないけれど、 こんなにも恋させられた代償を払わせないことには、どうにも心がおさまらないのだ。 ひょっとすると大人げない感情かもしれない、だけれど、屈服させたい。

「僕に女性誌を読む習慣はないんですけどね」
「63頁からの特集、あたしの企画なの。読みなさい」
「生憎、他人に命令される覚えもありませんし」
「あら、あたしは他人?」
「少なくとも身内ではないでしょう?」
「じゃあ、たった今から身内よ」
「は?」

虚を突けばこっちのものだ。

やっぱりあたしは、パワーゲームをしてるのかもしれない。

雑誌を手にしたまま怪訝そうな顔をしている少年の胸倉を鷲掴みにして、は彼の唇を強引に奪った。少年の手から雑誌がばさりと音を立てて、落ちる。 長い長い濃厚な口づけを強いても、少年は抵抗の素振りすら見せなかった。 あまりに突然のことで、身体も頭も上手く状況に追い付いてくれなかったのだ。

「ね?」

茫然自失の少年に極めつけの笑顔を見せつける。 それからしばらく空白の時間がつづいたが、やがて正気を取り戻したらしい少年が、 いつもと同じく冷静を装って口を開いた。

「……なにが『ね?』ですか。だいたい貴女は」

もう一度、もう一度、もう一度、少年の言葉をさえぎって繰り返し何度も唇を貪る。

「なにか言いたいことは?」
「……もう結構です」
「たまには恋のひとつくらいしてみなさいよ」

少年の耳元でそう囁いて、はようやく彼の身体を解放した。

「貴女と、ですか?」
「そう、あたしと」
「犯罪ですよ」
「同意がなければね」
「……減らない口ですね……」
「なに?」
「犯罪者には、ならなくて済みそうですよ」

そう言って、落とした雑誌を拾い上げる少年を愛おしげに見つめて、は気付かれないようそっと、満足げに微笑んだ。

「ね? これで『身内』でしょ?」