何処だよ、此処。
飛行機が落ちて、窓の外がまばゆいばかりに輝いて
死んだとばかり思っていたのに。
栗毛の馬に跨っている。
乗って乗れないものでもないだろうが、馬に乗る習慣なんかないのであって。
俺のことなど気遣う素振りもなく、馬はただ黙々と堤の上に敷かれた道を行く。


 7 With Her Illusion


手元には広域の地図とコンパス
磁石に狂いがなければ俺の左手を流れる川は南北に延びていて。
その川に添って、馬は北へと進んでいることになる。
他よりひときわ大きく書かれたふたつの地名は裂け谷ミナス・ティリス
そのふたつを繋ぐルートの途上に、自分の今居る地形を探し出す。

北へ、つまり俺はミナス・ティリスから裂け谷へ向かっていることになる。

わけが分からないながらも、ひとまずの目的地を得て。
そこまで行ければ、なんとかなるんだろうか。
まだまだ残りの道程は長く。
あの人はどうしているんだか、ふとそんなことを考えた。

夕焼けが西の空から跡形もなく消え去った頃、川が二手に分かれている場所で。
きりが良いかと、其処で夜営を張ることにする。
走らせ通しだった馬を撫でて・・・繋がなくても平気だろうか。
俺の凝視を不思議がるように、首を傾げ。
馬はてこてことへ向かい水を飲み始めた。

下ろした荷物は長行程の割りにえらく少ない。
急ぎの旅なのだろうか。

日持ちする食料がいくらか入っていたので。
その中から適当なものを選んで、地面に腰を下ろす。
こんなにも長時間馬に乗っていたのは初めてで、腰やなんかが微かに痛む。
およそ半日ぶりに喉を下っていった水は温まっていたけれど。
それでも生き返る心地がした。

それにしてもこの装束
日常生活では決してお目にかかれないような。
厚手の素材をさらに重ねた普段とはまったく違う装いが。
少々動きにくく感じられる。
銀で縁取られた角笛を腰に下げ、立派な剣と盾を装備していて。
片刃の剣術なら心得はあるが、西洋刀となると話は違ってくる。
盾なんか、言うまでもない。

用心のために火を起こした方が良いのかもしれないけれど。
生憎の不精が頭を擡(もた)げる。
それでも暗闇にじっとしているよりはと。
疲れた身体を奮い立たせて剣を抜いた。

様にはなるような構え方を模索して、しゅっしゅっと空を切り裂く。
それ以外に音は聞こえずに。
気味の悪い静けさが柄を握る手に力を込めさせる。
今朝までたしかに触れていたはずの空気とは明らかに異なるそれ。

嗚呼、ほんとうに。

あの人は無事でいるだろうか。

「殺しても死にそうにないですよ」

なんて所詮言葉のあやであって。
あの人だって人間なんだからいつかは死ぬし。

傷つけられれば『いつか』なんて待たずに死んでしまうのだろうし。

あの人、さん、が俺と同じ世界に居ることは。
最早ごく自然なことであって。
こんな異世界のような場所にあってさえ、俺はそれを疑わない。
そういえばと思って携帯を探せど、見つかりはせず。
溜め息を吐きながら、俺は寝支度を始めた。

翌朝目を覚ますと、太陽はまだ山間から頂点を覗かせたところだった。
馬が草を食んでいる川縁に近付いて、透き通った冷水で顔を洗う。

「目が覚めても、やっぱり此処に居るんだな」

今頃きっと朝練に向かっている時間だ。
俺の独り言に応えるように、馬が頬を舐めてくれた。

「行くか?」

ぶるぶると鼻を震わせる馬。
思わず苦笑して、干しぶどうをふたつみっつ摘むとすぐ。
俺は再び馬の背に乗った。

東に連なる山々と二股の川から鑑みるに。
東へ分かれた流れを辿れば裂け谷に着けるはずだ。
そこに行けば、少なくとも人は居るのだろう。
出来ればもう、一人っきりの野営は御免被りたい。
気ばかりすり減って、ろくに眠れたもんじゃない。
手綱をきつく握りしめると、馬は駆け出した。


こうしている内にも、確かな記憶が風化してしまいそうだ。