いったい此処に来てからどのくらいの時間が過ぎたのか。
心の片隅になんとなく、夜営はごめんだ、と願っていたなら。
神は俺の願いを聞き入れてくださったのだろう。
当然だ、たとえ神であろうとも俺の願いを無下にしやがったら天誅ものだ。
目につくほど高層の建物は見当たらないが。
町はぼうっと暗闇の中に、ひとつのコロニーのように静かに横たわっていた。


 9 Prancing Pony


町の周囲に張り巡らされた防護壁。
その切れ目を見つけるべくと二人、もそもそと歩く。
気丈に振る舞ってはいるが。
白日の下を移動し通しだったことは疑いようもない事実。
並以下の体力しか持ち合わせていないが、疲れているのは明らかだ。

「あ、門みたいのがある」

それでも走り出しはしないで。
ただひどく緩慢な動作。
何故か腹立たしくて、俺はの手を強く引いた。
近付くにつれ、門の脇に填め込まれた木戸がはっきりと見えてくる。

「ほんとに『ロード・オブ・ザ・リング』に出てくる町だったらどうしようね」
「ア?その方がいいじゃねえか」
「そうかな?」

ぴったりと閉じられた門が憎々しい。
木戸の方をノックすると。
間もなく目の位置にあるのぞき窓が内側から開かれた。

「旅の人かい?」

ぎょろっとした、東洋のものではない、双の瞳が邪気なく此方を窺う。

「馬も居ないようだし、ちょっと待って、こっちを開けるから」

難無く町に受け入れられて、正直ほっとした。
門番の男はパイプを銜えて、俺と特にを舐めるように観察していた。

「また見慣れない格好をした娘だね。それに血塗れじゃないかい!」
「道中、オークに襲われた」
「あいや!怪我はないかい?」
「ああ、平気だ。この辺に宿はあるか?」

ちらりとを見遣る。
だけは此処に来る前の服装。
チェックのミニスカートと白地にスパンコールのついた長袖Tシャツ、そのままで。
門番の服装を見る限りたしかに『見慣れない格好』だろう。

「2,3軒先に馬の看板を掲げた酒場があって、その2階が宿だよ」
「そうか、ありがとう」

俺に手を引かれた物欲しそうに後ろを振り返っていて・・・さすが貧乏人だな
の視線を追うと、先にあったのは煙の上がるパイプだった。

「あれ、ニコチン入ってんのか?」
「けどニコチンじゃない葉っぱはたいていイリーガルだよ?」
「こっちじゃ違うかもしれねえだろ」
「え?コーク?コーク、オーケー?」
「コークはやめとけ、飛びすぎて死ぬぞ」

コークって、しかも葉じゃねえぞ。
これ以上ラリってどうする。
煙草で十分だろ、つーかドラッグは『ダメ、絶対!』だ。
『オーヴァードーズで死にました』とかマジ笑えねえから勘弁してくれ。

「あれだな、Prancing Pony」

見覚えのあるような、前脚を跳躍させる仔馬の絵。

「ぷら?どういう意味?」
「向日ポニー」
「ああ、『ノミの如く跳び回る仔馬』ってこと?」

な ん で そ れ で 分 か ん だ よ !
突っ込みたい気持ちをぐっと抑えて、中に入って。
ひとまず、むさ苦しい男が構えるカウンターへ向かう。

「宿を取りたいんだが」

つんとした鉄の匂いと可視の血に、男はぎょっとしたような表情を浮かべた。

「ああ、ああ、構わんが。お嬢ちゃん、風呂使うかい?」
「え!いいんですか!?」
「ああ、お客人には貸してないんだがね。着替えはあるかい?」
「ないです」
「じゃあ洗うといい。それまで娘の服でよければ貸すよ」
「うわあ、おじさま紳士!大好き!ご親切にありがとうございます!」

オイオイおっさん、俺はどうなんだ、俺は。
どっからどう見ても俺の方が血塗れだろ・・・!

「お部屋はどうされます?」
「アーン?一番いい部屋に決まってんだろ」

部屋は良いから風呂はどうなんだ、男女差別で訴えんぞ

「はいはい、じゃあこれ、階段上がって二つめの部屋だから。お支払いは?」
「カードで一括」

条件反射的に答えたものの・・・

「じゃなくて、現金で一泊分先払いだ」

『びざ』も『じぇーしーびー』も使えねえし・・・。
『どこでも使える』とかいうCMは嘘なんだな。
慌てて金を探すと、ちゃんと荷物に入っていた。

「はい、たしかに。じゃあお嬢ちゃん、おいで」
「はーい!べ様、先部屋行っててね」
『べさま』って名前かい?変わってるねえ。それにお嬢ちゃんの服も変わってる」
「流行を先取りしすぎたんですよ」
「はっはっはっ、まあ似合ってればなんでもいいさ」

などと。
とクソ宿主は笑いながら扉の奥に消えていって。
残されたのは血塗れの俺と部屋のキーだけだった。
アホ。アホアホーーーー!


「べ様、まだ怒ってんの?」
「うっさい」

ムカツクことにほかほかと湯気まで立てやがって。
が帰ってきた。
白いブラウスに小花柄の!なんと小花柄のロングスカートという。
昔の映画のような装いがこれまたムカツクことに、キモイくらい似合っていて。

「下に行ったら御飯ご馳走してくれるってさ」

言いながら、は荷物の中から煙草を探している様子だ。
何処の何奴の差し金か知らねえが。
煙草だけは1カートンだけ荷物に紛れていた。
ライターはなかったが、マッチはある。

「おい、。いいもんやるよ」
「んー、ちょっと待って−−−で、なに?」
「見ろ!」
うわあぁぁぁぁ!!くれるの?くれるの!?」

そういえば映画でアラゴルンが銜えてたな、と。
思い当たって探してみれば案の定。

「ほしけりゃ抱かせろ」
「そういうの援助交際っていうんだよ?知ってる?」
「嘘に決まってんだろ。俺様は吸わねえし、やる」

は「ありがとう、景吾!」なんて抱きついてきて。
抱き返させてもくれずに俺の手からパイプを奪い取った。
所詮、俺よりニコチンや葉っぱが好きなのか、そのへんどうなのか。

「肝心の葉っぱがない」
「調達済みだ」

なんでもパイプ草というものがあるらしく。
このあたりの人間(?)はもっぱらそれを好んで吸うらしく。
俺の行った店には何種類か銘柄があって。
「一番上等なやつをくれ」と言うと、『長窪印』というのを売りつけられた。
それらの行動をが風呂に入っている間にやった俺は、果てしなく健気だ。
健気すぎて自分で自分が可哀想に思えてくるほどだ。

「ありがと!ガンジャかな?ガンジャかな!?
ガンジャじゃねえよ。オマエ変な知識ばっかつけてどうすんだ」
「生きていくのに必要な知識なのですよ」

布袋(ほていじゃねえ)から早速葉を取り出したは。
それをきゅむっとパイプの先のボウルに詰める。
吸い慣れねえもん吸ってこいつラリったらどうしようか。
なんて不安もあるにはあったがそのときはそのときだ。
黙って、が点火するのを見守っていた。

「あー、キくわぁ・・・」
オッサンかよ、煙吐きながらンなこと言うな」
「いやあ、でも残念ながらガンジャではなく、残念ながらコカでもなければケシでもなく
 ・・・・・・・・・これってば普通にニコチンですね」
「あ た り ま え だ !」

そしてはパイプを吸うのが上手い。
慣れないうちは苦労するものらしいが。
・・・・・・ニコ中患者がなせる技だろう。
というよりほとんど根性か。

「キツくて癖になりそう」
「もう二度と買ってやらねえ」
「えー、無理だよ。だって禁断症状出ちゃうもん、あははははっ

その奇怪な笑い声はすでに禁断症状だと思っていいのか。
そもそも、「禁断症状出ちゃう」とか笑って言うことか?
笑い事じゃねえだろ、トレインスポッティングだぞ、ニコチン隔離だぞ?

「もう行くぞ。メシ食いに行くぞ」
「待って、あと一服を3回ほど・・・
「却下。つーか、持ってけばいいだろうが」
「景吾って意外に頭良いね」

なんか馬鹿にされてる気がするのは気のせいか?
は普段の紙巻き煙草とマッチ箱を手に持って、立ち上がった。
俺が折角買ってやった『パイプ草』はいいのかと聞くと、
「葉っぱ詰めるのめんどくさい」
などと、しれっと言い放ちやがる。
それ高かったんだぞ・・・!!
俺は正直オマエと話してるのがめんどくさくなってきたぞ・・・!!
というのは嘘だ。
どうせはこういう奴だ。

「なに食わせてくれるんだ、あのオッサン」
「は?」
「しょうもないもん食わせやがったら、今度ばかりは承知しねえぞコルァ
「いや、バタバーさんっておじさんの名前だけど、『あたしに』ご馳走してくれるって」
「は?」
「だから景吾の分は知らないよ?」

・・・・・・あのオッサン、シメる。


おワインの一杯や二杯、おごれよ。