侑士が行ってしまう気でいたってこと。
どうしてもっと早くに気付かなかったんだろう。
『なるようにしかならない』?
あたしが『どうしたいのか』?
望んでることが多すぎて。
収拾がつかない。


 32 Nine Heading for the Forest


もう涙も枯れ果てたと思ってたけれど。
曇り空の下、頬を生暖かいものが這って。
泣いたら、侑士が帰って来られないみたいじゃない。
でも悔しくて、意味が分かんなくて。
先に進まなきゃいけないことも忘れて。
立ち尽くしたまま、涙の流れるのに任せていた。

さん、もうそろそろ・・・」

下から長太郎の顔が覗いていて。
その悲しそうなのを見てたら、なんだか笑わなきゃいけないような気がした。

「そだね。日も暮れちゃう」
「はい。歩けますか?」
「うん。平気」

見ると、亮ちゃんは覚束無い足取りですでに離れた場所にいて。
がっくんだけは座り込んだまま、なかなか立ち上がらずに。
それもそうだ。
がっくん、侑士と仲良しだったから。

保証のないことなんか世界中に幾らでもあるけれど。
侑士が帰ってくるってことだけは、誰かが保証してくれたらいいのに。

「がっくん、行こう?」

中腰になって声を掛けても、がっくんは顔を上げずに頷くだけで。
その柔らかい髪の毛を少し撫でて。
あたしはがっくんの手を取った。

景吾がほっとしたように亮ちゃんの後を追っていく。
モリアを抜けて、何処に行くんだっけ。
すごい久し振りに日の当たる場所に出たはずなのに。
こんなにも空は重くて、冷たい。

「みんな、悲しくないのかな・・・」

絞り出すようにがっくんがそう言って、正直びっくりした。

「侑士、ちゃんと戻って来るのかな・・・」

『戻ってくるよ』って言えればいいんだけども。
そんなその場凌ぎみたいなこと、どうしても言えなくて。

「約束、守ってくれるといいね」

考え考えそう言った。

「約束?」
「うん。だって『待ってて』って言ったでしょ、侑士」
「・・・・・・・・・」
「だから、守ってくれなきゃ困る」
「そーだよな・・・」

まだ夕日には間があって、空は変わらず鉛色。
夜空には雲がかからなきゃいいなと、ひっそり考えて。

「待っといてな、帰ってくるまで」

ぼそっと呟くと、笑い声がふたつ上がった。

「なんで笑うのよ!?がっくんはともかく萩!笑うな!」

萩なんかちょっと離れたとこに居たのに。
地獄耳、地獄耳、地獄耳、アホ、美人

「だって、似てないんだもん」
「マジで今の侑士の真似かよ」
「悪かったわね!どうせあたしは生まれも育ちも関東地方ですよーだ!」
「侑士はもっとこう『待っといてな、帰ってくるまで』・・・な!俺の方が似てるって!」
「ほんとだ、今のちょっと似てたかも。さすががっくん」

イントネーションがね、難しいんだよねえ。
全然まったく関東弁と相容れないというか、根こそぎ違ってるというか。

「滝もやってみそ!」
「えー、俺?んーと・・・『待っといてな、帰ってくるまで』
「「おお!!」」
「なに、その反応は」
「すごいすごい!チョー似てる!そっくり!」
「すっげー!滝、ものまねチャンピオンなれるって!」
「嬉しくないなあ・・・」

まあそりゃあ、『侑士のものまねです』とか言ったところで。
『侑士って誰ですか』ってのがオチだもんね。

「でも、美人なのに侑士のものまねも出来るっていうのを売りにして・・・」
「どこに売り込むのさ」
「え?いや、あの、新宿二丁目あたりにですね・・・

咄嗟のひとこと、新宿二丁目。
新宿二丁目?ウリ専?
・・・・ヤバイ、すごいはまり役だわ、萩。

「ちょっと不愉快なこと言うね、
「ええ!?大丈夫だよ!がっぽがっぽ稼げて左団扇だよ!
 そしたらあたし、萩に養って貰えるかも・・・」

し ま っ た 口 が つ る っ と す べ っ た ・ ・ ・ 。

こういうのは相手に目的を悟られちゃいかんのだ!

「嗚呼、ごめんね。ウリ専とか駄目だよね、萩ってばヘテロセクシャルだもんね。
 ごめんなさい、もっとホストとかの方が良かったよね。二丁目より歌舞伎町だよね

「もうどっちでもいいかな・・・」

「良くないよ!歌舞伎町ならあたしも通えるもん。萩のことご指名出来るもん!」

良いじゃない良いじゃない良いじゃないホスト萩!
18になった暁にはべ様にお小遣い貰って萩のとこ通うのー。

、ちょっとおかしいんじゃねえ・・・?」
「おかしかないですよ、失礼な」
「かぶき町で働かなくても、ぐらい養えるよ」

え?ええ?ほんとに?

「結婚してください、もしくはパパと呼ばせてください」

「ちょっ、なに言ってんの!?」
「んー、パパはちょっと嫌かな」
「じゃあ結婚しよ。これからあたしは『滝のすけ』と名乗りますので」
意味不明じゃん!もう俺、突っ込むとこが分かんねーよ!」
「それじゃあ俺は萩』にしようかな」
「別姓婚だね。いまどきっぽい!」

別姓婚ってまだイリーガルだっけ、お役所受け付けてくれないっけ?
まあ良いか事実婚でも、いわゆる内縁の妻。

「あれ?がっくん元気?」

「 疲 れ 果 て た よ ! 」

とかいきなり怒鳴られてビビるあたし。
それに対して平然と笑ってる萩。
なんか萩って老成してるってかんじがする。

「とにかくツッコミいないと纏まる話も纏まらないし、侑士に早く帰ってきて貰わなきゃね」
「ほんと、侑士いねえとオチないもんな・・・」
「ふふふ、忍足が居てもオチないかもしれないよ?

などと。どぎついことを笑顔で言ってのける萩に、がっくんがフリーズした。



「景吾」

旅の睡眠時間はだいたい8時間。
あんまり夜遅くに歩き回るのは危ないからと、暗くなれば其処でストップ。
晩ご飯やなんかを済ませても。
このかんじだと9時ごろには床についてるんじゃないだろうか。
時計がないからなんとも言えないけれども。
今日からは五人制だった見張り番も四人で。
四人の一番最初。
岩陰に小さな火を焚いて座っている景吾に声を掛ける。

「ごめん、邪魔じゃない?」
「ああ」

そう言って少し場所を空けてくれたから、遠慮無く其処に座って。
闇夜に浮かぶ炎を見ていると。
心の深層がざわざわと、ある種の制御を失って騒ぎ始める気がする。

火だけが動いてる。

「忍足を行かせても良かったのか?」

「え?」

「あいつ、決めてたんだろ、ああすること。止めた方が良かったのか?」

雨降ったらどうしよう、とか思って。
景吾がこんなこと言うなんて珍しい。

「侑士、たぶん止めても聞かなかったよ?」

一途というか、思いこみ激しいというか、頑固というか。
とにかくあんまり器用じゃない、侑士は。

「だろうな」
「きっと映画の筋通りにしなきゃ、とか思ったんだよ。
 それが、救いと言えば救いなの。映画の筋通りなら、侑士は戻ってくるから」
、オマエ日吉・・・」

そう、あたしはその話をしたいと思って。
侑士のアクシデントの後、次に危ないのは若だから。

「分かってるよ。山でね、指輪見つめてるピヨの目、尋常じゃなくて。
 あれはたぶん、マズイと思う」
「出来るだけ、見るようにはしてる」
「うん。侑士には悪いけど、其処だけはどうしても筋書きを変えたい」

指輪に魅了され始めてるのは、若だけじゃなく。
たぶん景吾も、あたしも。
人間っていう種族は、他の種族より誘惑に弱いのだろうか。

それにしたって若の指輪を見る目は。
あたしたちのそれと全然異質のものに感じられて。
何とかしてあげたいのだけど。
どうにも出来ない自分が口惜しい。

恋は盲目、なんてよく言ったもので。
若に対してだけは過剰に敏感に、それから過剰に鈍感に。
そのどちらかにいつも針が振り切れる。

「でも、亮ちゃんと長太郎、きっと行っちゃう。二人で」
「ああそれも・・・正直どうしたもんか分かんねえ」
「あたしは、悪いけど行って欲しいと思ってる。
 このままだと確実に、みんな指輪にやられちゃう気がするから」

そう言っても、炎の色に染まった景吾の横顔に表情はなくて。
その腕だけが、あたしの身体にそっと、回った。
景吾があたしを助けてくれるように、あたしも景吾を助けられればと。


何があっても、日はまた昇る?