俺たちが此処、ロリアンに着いた翌日。
小さな王国だけれど。
国中が悲しみの歌に包まれていて。
亡くしたわけでもないのに。
やっぱり少し哀しくなった。


 37 Miserable Kingdom


みんなはよっぽど疲れが溜まってたのか。
結構な時間になってもまだ床の中。
此処にじっとしていても、跡部たちの寝顔しか見られなくて。
あまりにも味気ないものだから。

あの子がよく似合うと言ってくれたこの身体は。
そっと静かに、空気も揺らさずに立ち上がることなんか簡単で。
久し振りに弛緩した旅の仲間の元を離れて、歩き出した。

たしかに観月の言葉はちょっと澱むところがなさすぎるけれど。
あんなことになるのならついて行けばよかったなと、ちょっと後悔してる。
けんかをしに行ったはずのはどうしてかすっかり観月と仲良くなったみたいで。
寝床だってトイレの横から観月の部屋の側に昇格して。
にとってはその方が良かったんだろうから、何も言えないけれど。
そういうの、全部に耳をそばだててしまってた俺はすごく嫌な奴だと。

半ば自嘲気味に、半ば本気に。

途中何人かのエルフと短い言葉を交わしながら、歩くこと数分。
ようやく目的の、小さな閨が現れる。

「入ってもいいかな」

眠ってるのは分かっていたけれど、一応そうやって声を掛けて。
更紗のカーテンを捲り、部屋の中へ。
大きなベッドの端っこで、は安らかな寝息を立てていた。
こういうのも夜這いって言うのかな。
なんでもいい、ただといっしょに居たかっただけなんだから。

シーツに降り注ぐの髪は久し振りに、丁寧に梳かれていて。
巻き毛もすっかり伸びてしまっているけど、それでも十分すぎるほど綺麗。
『綺麗』なんて薄っぺらなものだから真に『美しい』ものを求めなさい、と。
言っていたのは誰だっただろう。
聞いたときはそれもそうかな、と思ったけれど。
なかなかどうして、『美しい』なんて使い慣れない言葉を使うより。
『綺麗』が表現してくれるものだってたくさん、ある。

昨夜は遅くまで観月のところに居たみたいだから。
起こすのも可哀想かな、と。ゆっくり眠らせてあげたいな、と。
それよりなにより、の寝姿はとても綺麗で、ずっと見ていたい。
部屋の片隅にぽつんと、一つだけ置いてあった椅子を引いて。
座った俺の顔はもしかすると、穏やかだ。





「はぎぃ?」
「おはよう、

睡魔に濁らされた素っ頓狂な声をあげて、が起きたのは随分と経ってからのこと。
もぞもぞとベッドの中で身動ぎをして、それから上半身を持ち上げる。

「あたし、此処に居るって言ったっけ?あ、はじめちゃんから聞いた?」
「うん、そういうことにしとく」

聞いたっていうより聞こえた、聞こえたっていうより聞いた。
は小さなあくびをひとつ。
決まり悪そうな、苦笑じみた笑顔を浮かべて。

「もう時間、遅いよね」
「んー、お昼前ってとこかな」

そういえば朝ご飯を食べ損ねたけれど。
三ヶ月ぶりに巡ってきた日曜日なんだから、こんなのも悪くない。

「なんか、これって歌?」
「うん。・・・奈落に落ちた魔法使いを追悼する歌」

そう言うと、の表情にふっと暗い影が落ちて。
忍足の名前を出さなかったとしても。
帰ってくるって信じては居ても、『信じる』って独り善がりな感情で。
追悼、追悼、死者を悼むこと。
ロリアンのエルフはみんな、魔法使いは死んでしまったと思ってる。

「だから哀しいかんじなんだね。言葉は、分からないけど」
「分からない方が良いよ」
「かもね。でも・・・萩は哀しい?」
「え?」
「萩は分かるんでしょ、言葉。だから」

モリアでの一件からはまだ、片手で追いつくほどの日数しか経っていないのだから。
血を見た刹那の本能的な昂ぶりはあっというまに去ってしまっても。
嬉しかったこと、それから哀しかったことなんか特に。
風化させてしまうには、これくらいじゃ全然足りない。

「哀しいよ。魔法使いが死んでないって思ってても、やっぱり」

やつれた顔を俯かせて、色のない、の声が漏れ出す。

「あたしね、哀しいんだけど、それって侑士が居なくなったことが
 哀しいんじゃないかもしれないって思うの」

一度言葉が途切れて、それでもは顔を上げない。

「侑士が居なくなって哀しい思いをする人たちが居るでしょ?
 それが、哀しいっていうよりは切ないの、かな。
 それからたぶん、罪悪感みたいなものも」

すっと喉を通過して掠れる声は、部屋の中でいちばん澄み渡った何物かで。
彼女の言いたいことは分かるようで分からないのに、胸のあたりがじゅっと焦げる。
哀しいというより切ないって、こんなかんじなのかな。

「どうしてこの人たちが哀しむのを止められなかったんだろう、って。
あたしが哀しくなったりするのは、自分が絡んだことばっかり」

俺になにかを言ってあげることは出来る?
そんな考え冷たいって、思ってるかもしれない、思ってないかもしれない。
どんなふうに口を開いても、真摯な言葉は出てこないかもしれない。

「ごめんね、朝からこんな話題」

俺が黙っていると、はまた、いつものような遣り方で謝って。
鬱陶しそうに髪を手で梳いた。

の髪、梳いてもいい?」
「え?良いけど・・・萩のよか汚くてがっかりするかも」
「褒めてくれてる?」
「うん、そのつもり。萩の髪、すごい綺麗」
「ありがとう。でもの髪、好きだよ?」

シャンプーの宣伝に出てくるキューティクルまみれのどんな髪より。
俺の髪だって自慢じゃないこともないけど。
梳いてみたいと思うのは、少し傷んだこの髪だけだ。

「それじゃあ、お願いしようかな」

シーツの下から這い出したは見たことのない服を着ていて。

(これも、これもどうぞ。僕は着ないので)

そっか、観月が・・・。
いくら『女王様』に甘んじてるからって、こんなのはさすがに着ないんだろう。
エルフの装束は男性も中性的なものを着てるから、
昨日見た観月はそういうのを着てて。

「櫛、これ使ってもいい?」
「うん、みんな櫛くれるんだもん、困っちゃう」

がベッドの淵に腰を落ち着けて。
俺は櫛を手に、ブーツを脱いでの後ろに座る。

「これは、誰に貰ったの?」
「んーと、これははじめちゃん・・・観月くんに貰ったやつかな」
「ふふ、仲良くなれたんだ?」
「えー、あー、まー、そう、かなあ?

するすると、つっかえることなく櫛が上から下へ、また上から下へ。

「観月みたいな人、の周りに一人くらいいても良いと思うな」

俺たちの誰も、あんなふうにを励ましたり出来ないから。
・・・口説きに掛かろうとしたのは余計だったけどね。

「結ってもいい?」
「ご自由にどうぞ」
「メデューサみたいにしても良い?」
「・・・・・それは嫌」

嫌って言われなくても、出来ないんだけど。

静かな中に流れる鳥のさえずりと木々のざわめきが。
すごく素敵なバックグラウンドミュージックになる。
旅の合間、長くは保ちそうにない休息だけれど。
このあたりで、殺伐としてきた心を休めるのもまた一興かなと、思う。

「『何時まででも居て構いませんよ』って言ってたよ、はじめちゃん」
「へえ、昨日俺たちには『今すぐ旅路に就きなさいッ!』って言ってたよ?」
「きっと気が変わったんだよ。でも、折角だけど、そんなに長くは居られないよね」

心残りなわけでも、かといって思い切ったわけでもなさそうに。
そんな声に反して、肩は少しだけ落ち込んだから。
なんだか急に、いとおしさが込み上げてくる。

「そんなこともないかもしれないよ?」
「え?」

今度は少しだけ、期待の籠もった声で。

「跡部がね、ひと月ほど居ることになるかもしれないって」
「どうして?急がなくて良いの?」
「んー、俺も詳しくは知らないんだけど。
 原作だとね、ひと月ちょっとロリアンに滞在するんだって。
 今までだってさんざん端折って来たんだから、
 今回もそうしてもいいかなって思ってたみたいなんだけど、
 ほら、忍足のことがあるから」

喋りつつ、の髪を細い紐で結わえる。
手慣れた作業ではないけど、それなりに器用だから。
きゅっきゅっと、ほんとに好きなようにの髪を纏める。

「忍足が帰って来るまでのところをカットしちゃったら、
 原作みたいに合流できないかもしれないって」
「そっか、そうだね。ひと月かー、長いなー」
「はい、出来たよ」

サイドテーブルの上に造作のひとつもなく置かれていた髪飾りをつけて。
名残惜しいけれど、の髪から手を放す。

「ありがと。時間掛かったね」
「力作だよ。鏡ある?」

こくりと頷いたは引き出しから手鏡を取り出して。
絶句していた。

「いいでしょ。ロココ風に仕上げてみたんだけど」
ろ、ろ、ロココ風!?何それ!?
 なんでこんな『ベル薔薇』みたいになってるの!?」
「その服に似合うかなと思って」
「・・・・・・・・・・・・・」


アールヌーヴォーとかの方が良かったかな。