千石に案内されて。
ロリアンのはずれ、川岸まで。
三艘の小舟に三人ずつ。
漕ぎ出た川の流れは遅く。
不安だけが募る。


 42 Riverboat Talks


オールを持つこと、戦力を配分すること。
その二つを考え合わせると、どうしたって俺と滝、日吉は分乗で。
残りの面々を何処に乗せるか悩み抜いた挙げ句、俺の舟に宍戸と鳳が。
滝の舟にと樺地、日吉の舟にジローと向日がそれぞれ乗って。
流れ流れること早九日。

追っ手の気配は今のところ、ない。

「一日中、川の上っつうのも、結構クるな・・・」
「ほんと大丈夫ですか、宍戸さん」

どうやら宍戸は船酔いをするらしく。
波の立たない川だとは言え、所詮は小舟、安定が悪い。

「そんなザマで、この先どうすんだよ」
「うっせー。俺はなんでオマエらが平然としてられんのかが理解できねえよ」

俺は船酔いなんて現象が、そもそも理解不能だ。

「幾らなんでもそろそろ慣れて下さいよ・・・」

後輩からまで慰めまがいの批難を浴びるような状況だが、俺の知ったことじゃない。
地図に間違いがなければ間もなくアルゴナス、古の王を象った巨像、の足元だ。
其処を過ぎればもう、上陸まであと僅か。
それまでに、こいつらだけに聞いておきたいことがある。
待ってやるための時間は、残っていない。

「宍戸、滅びの山までを連れてくつもりか?」







最初の二、三日は夜、陸地で寝てるときもゆらゆら波の上に居る気分だったけど。
九日間も舟に乗ってれば、さすがに慣れる。
慣れって怖ろしいもので、侑士の居ないことにもすっかり『慣れ』たかんじで。
別れたときはあんなに辛かったのに。

一月半ぽっちの時間が、それをゆっくり吹き飛ばしていって。

「ひよしー、あとどのくらいか分かるー?」
「主語がないのでそもそも何を言ってるのかが分かりません」
「そっか、それもそーだね。じゃあ、寝る時間まであとどのくらいか分かるー?」
「分かりません」
「うーん。まあいーや、ありがとう」

ジローと日吉は船出からずっとこんなふうで。
どう考えたって日吉は鬱陶しそうにしてるのに、なんでわざわざ話しかけるんだろう。
って思ってたんだけど、一緒に居るうちに俺にも分かった。

というより、分かっちゃった。

船を漕ぎながら、日吉は時々ちらちらと何処かを見てて。
それっての乗ってる舟とはまるっきり反対側。
日吉が見てるのは宍戸と、指輪。

(夜だってあんま寝てないし、も心配してるみたい)

一昨日の夜、こっそりジローが教えてくれた。

「あー、そのうち寝れない体質になっちゃうしー」
「一日中起きてるジローもなんか変だよな」
「じゃあがっくん、今のおれ、変だと思ってるってことー?」
「ううん。今は別に普通かな」
「ならいいけど」

俺は指輪の力なんか、ほとんどなんにも感じてないから。
てっきりみんなもそうなんだと思ってて。
そしたら違った。

(あとべとねー、も・・・ちょっとあぶないかんじ、かな)

なんでも良く分かってるジロー。
俺だってのことはちゃんと見てるつもりだったのに。
まさかまでとか、思いも寄らないことだった。

けど、ジローもなんともないって言ってたから。
もしかしたらホビットっていうのは、そういうものなのかもしれない。

だとしたら、日吉と、それからが可哀想な気がする。

「あ!なんか見えてきたぜっ!」
「どこどこー!?」







「ああいうの、映画に出てきたね」

川を下る旅もずいぶん長くなってきて。
ロリアンに居たころは、幾分か健康そうだったも。
やっぱりまた少しやつれたかな、と思う。

肉体的にもそうなんだけど、気疲れもあるんだろう。
たまにぼんやりしてるのが気になって、その視線を追えば。
必ず其処には日吉が居て、日吉の視線の先にあるのは必ず指輪だから。
深く考えないでっていう方が無理なのかもしれないけど。

哀しそうなを見てるのは、俺だって辛い。

「んー、でも映画で見るより凄いね。圧巻だわ」
「ウス」

まだ距離があるのに、それでも十分大きく見える王の柱、アルゴナス。
凄いな、と感想を抱いてる合間にも。
先頭を行く跡部たちの舟から聞こえる会話が気になって。

それから、うっすらと感じる不穏な気配。

『追われてる』って千石が言ってたのを思い出して、気配の正体に見当を。
入ってくる情報が多すぎて、頭が追いつかない。

「映画で見たことの方が、夢みたいになってくる」

膝を抱えたが、そう小さく呟いて。
だけじゃなく、みんな夢みたいな現実に打ち倒されそうになってて。
それでも諍いの一つもないまま此処まで来ることが出来たのは。
奇跡のようで、奇跡じゃない。
本当に良い友だちに巡り会えたんだなと、そればかり思う。

「何メートルぐらい、あるんでしょう、ね」

二つの像と舟がちょうど正三角形になるくらいのところ。
像の頭を見上げると、首が痛い。

「全然分かんない。どのくらいあるんだろうね」

と樺地が並んで首を傾げていて、なんだか微笑ましい。
それなのに和やかな気分に終始出来ないなんて。
寂しいけれど。
そんなことばかりも言ってられない。

もうすぐ、間違いなく敵がやって来る。







「宍戸、滅びの山までを連れてくつもりか?」

突然跡部さんがそんなことを言い出して。
俺にはなんのことかも分からなかった。
船酔いで青白い顔をしていた宍戸さんは、けれど、跡部さんの言葉に顔を上げて。
真剣な面持ちで、跡部さんの眼を覗き込んだ。

「俺様の言いたいことぐらい分かるだろ?」
「・・・馬鹿にすんなよ」
「ハッ、上等じゃねーか」

分からないまま、二人の話は進んでいく。
さんを何処かに置いて行けと言うのだろうか。
まさかそんなはずはない、それはいちばん有り得ない話だ。





でも、それじゃあ宍戸さん・・・?





「向こうに像があるだろ、二つ」

跡部さんの示す方にはたしかに二つ、大きな像が建っていて。
ああ、なんかああいうの映画で見た気がする。

「アレが見えるってことは、明日には上陸だ」

やっと船酔いから解放されるっていうのに、宍戸さんは喜ぶ素振りもない。
分からない、分かりたくない。
跡部さんはどうしてこんなことを言うんだろう。

「千石の言ってた追っ手も、たぶんもうすぐ来る。猶予はやれねえぞ。
 イエスかノーで、はっきり答えろ」
「考えるまでもねえよ。俺もこれ以上、見てられねえ」

『見ていられない』のが日吉とさんのことだっていうのは、なんとなく、分かる。
ロリアンを出てからの日吉は、目に見えて具合がおかしくて。
そんな日吉を気に掛けるあまり、さんは疲れ切ってるふうだ。

今はまだ強がってもいられるみたいだけれど。
『今はまだ』、明日がどうなるか誰にも分からない。





「俺は行く」





「え?」

行くって、何処に、誰と、どうやって行くんですか?
そりゃあ映画では、旅の仲間は散り散りになって。





指輪は。
二人だけで。
持って行くけれど。





遠くに見えていた像の間をいつのまにか通り過ぎて、舟は進んで行く。

「俺の仕事だ。それに、どうせもそうして欲しいと思ってるはずだしな」
「ああ、あいつは馬鹿だから言わねーだけだ」
「ちょっと待ってください!」

叫んだ瞬間、身体に力が入って。
小さい舟ががたがたと音を立てて揺れる。



「跡部さんはそれで良いんですか!?
 宍戸さんだけ危ない目に遭うことになっても平気なんですか!?」



あんまりじゃないか、そんなの。



「平気じゃなかったらどうしろっつうんだ。
 誰か宍戸の代役立てりゃ満足か?
 全員で、忍足も放って指輪棄てに行けば満足か?
 馬鹿じゃねーか?頭冷やせよ、鳳」



馬鹿なのも、頭に血が上ってるのも、分かってる。
理性に感情が追いつかないだけなんだ。
跡部さんの声はこんなにも落ち着いて、震えている。
唇を強く噛んでも血は出なくて。
舌に触れるそれはただただ、かさかさと不快な無味。





「それなら・・・俺も行きます。宍戸さんについていきます」
「最初っからそう言やいいんだよ」

口の端を歪めて、跡部さんは自嘲してるように見えた。
嗚呼きっと、この人もすごく悩んだんだろうな。
やっと、そう思うことが出来て。
安心するより先に悲しくなった。

「あいつらに何かある前に、行ってやれ」
「分かってる」

宍戸さんの横顔を眺めながら、強い人だと、思った。
太陽は徐々に傾いで、また夜が来る。

「ありがとう、長太郎」

そう言って貰えて何かが報われた気がした。



誰かのように報われない、無心の優しさを持ったり出来ないから。



離散の時はすぐ其処まで迫ってる。