自制心は
保ってるつもりだったんです。
周りからどう見えるかは分からないけど。
呼んでいる声がして。
俺を。
誰の声だか思い出せないけど。
45 Temptation
舟の旅も此処までかと。
そう思うだけで何かしらの恐怖が芽生える。
(悲しすぎて泣けないかもしれない)
あの人の言葉を思い出せばすべてが好転すると、信じて。
祈るような、縋るような気持ちで信じて。
エルフが死を迎えるのは『哀しみに押し潰された』ときだと。
エルフではないさんに、それを当て嵌めるのはおかしいけれど。
それでも哀しみは、人間だって造作なく押し潰すから。
(悲しすぎて泣けないかもしれない)
それはいったいどの程度の哀しみなのか。
分からないけれど。
分かるはずもないのだけれど。
跡部の気持ちはよく分かってるつもりだ。
あいつの心配事だって、ある程度は。
原作をなぞるみたいに、俺と長太郎が旅を離れることを決めて。
(誰にも言うな。特にには)
当たり前じゃねえか。
どんな顔してそんなこと言えっつうんだ。
だから上陸後、必ず襲ってくるだろうオークを待って。
戦闘の混乱に乗じて舟を出すつもりだった。
つもりだった。
ずっと若を見ていようと思ってた。
亮ちゃんと長太郎がひっそりと話し合ってるのを見掛けてしまって。
嗚呼、この子たちは行ってしまうんだなと。
この子たちは行ってくれるんだなと。
悲嘆と安堵、どっちが強かったのか分からない。
ただ、二人の旅立ちまで若を見てることが出来れば。
銃口の前に突き出されたような、こんな感情は、消えるのだと思って。
若を見ていられれば良かった。
あたしがいちばん心配してたのは誰だろう?
必ず『いちばん』を決めなきゃいけない時が来るのに。
"You got grey eyes?"
彼女は狐のように彼の手を逃れ……
眼前をたおやかに流れゆくアンドゥインは見ていたのかもしれない。
教えてくれなかったこと。
少し、かなり恨めしく思うけれど。
もっともっともっと。
何よりも恨めしいのはあたし自身と指輪。
どうしてこんなことになるの。
あたしが彼を。
ちゃんと見ていられなかった所為?
全面的に俺が悪い、気づかなかったことは。
は自分を責めてるかもしれねえけど。
そうじゃない、悪いのは俺と、あいつだ。
どうして鎖が簡単に切れるんだ。
おかしいんだ、何もかも。
跡部に告げるか、告げまいか。
約束を守れなかったことが俺を苛んで。
告げないんじゃなく、告げられない。
これは俺の問題であり、日吉の問題であり。
それから、指輪の問題だ、なによりも。
避けては通れないらしい。
指輪はどうあっても日吉を屈服させたがってるようで。
そっとそっとそっと。
誰にも気付かれないようにその場を離れる。
自分のことにかまける分しか残っていなくて。
そうか、それなら死のう。
そこまで俺を殺したいのなら。
殺したいほど俺を欲しているのなら。
どうして誰も気付かないのかが理解出来ない。
夜の街へ彷徨い出るベールを被った修道女のようだと。
思って。
そんなストイックなものじゃなく。
鉄の鎧を纏った娼婦のようだとも。
思って。
手に手を取り合って何処まで行けば安らぎを見いだせる?
誰も知らない場所なんか探しても見つからず。
それなら誰も来られない場所へ。
きっときっと、きっと。
其処でなら落ち着けるはずだ、ようやく。
こんなところにちゃんと残ってる。
俺の自制心。
咎人が居なくなればいいんだ。
俺と、この女。
"Oh, It is the last time."
もろびとこぞらざりて。
願いなんか疾うに失せた。
望みから断絶されたような気分のあと。
はらはらと粉雪のように海を沈んでいく。
浮き上がろうなんて気も起きずに。
僅かな、それでいて重大な。
手を伸ばしても触れることさえ出来ないものに対する。
支配欲や征服欲が。
満たされる時を待っている。
「日吉!」
決められたことをやってさえいれば、俺は死なない。
けどコイツは、決められたことをやってりゃ必ず死ぬ。
そういうのを運命とか呼ぶんだとしたら。
あんまり不公平に過ぎるじゃねえか。
決められた間違いや決められた手違いが積み重なり、重なり。
どれを取り除けば良いかなんて分かんねえけど。
「それ、俺がちゃんと棄てて来るから」
「宍戸さんじゃ無理ですよ」
森が静かなのが怖い。
どうしてこんなことになったんだろう。
どうして俺や日吉や・・・こんな目に遭うんだろう。
日吉の目が怖い、日吉が怖い。
「オマエなら行けんのかよ」
「いいえ、たぶん無理です」
「なら」
「諦めた方が良いってことですよ」
違う、これは日吉じゃない。
日吉は絶対こんなこと言わねえ。
「もう、うんざりだ」
何がだよ?
俺はこの状況に。
俺はこの世界にうんざりしてる。
だから帰りてえと思うし、帰らなきゃいけねえと思うし。
侑士や日吉を欠かしたまま帰れると思うか?
有り得ねえだろ。
「俺が持ってく」
「やめてください」
どうして自分がそんなことを言ったのか。
分からない、きっと一生。
「頼むからを泣かしてくれるな」と。
言って、言って、言って・・・・
手を放すなら今だと、本能が告げていた。
(一緒に帰りたい)
そうだ、帰らなくては、と。
あなたはいつも俺を助けようとしてくれる。
Try tempting you
Try tempting you
二つの声が重なって。
悩むまでもないことだ。
選ぶまでもないことだ、答なんか最初から決まってる。
開いた拳から指輪が落ちて。
開いた拳からたくさんのものが落ちて。
雪解けを感じた。
指輪を拾い上げて、俺は走った。
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